古代祐三氏が、当時スーパーファミコンのサウンドを作るために、開発機材をレンタルした際、その額が1000万円もしたというエピソードを語る!(リライト記事)



ゲームミュージシャンでもある古代祐三氏が、1990年代当時、スーパーファミコンの音楽を作るために、ソニーから開発機材をレンタルする必要があり、その額が1000万円もしたというインタビューが掲載(リライト記事)る意味びっくりですね。


エインシャントの古代祐三氏が、当時メガドライブとスーパーファミコンなどで多数の音楽を作っていた中、その事情を明かしていて、メガドライブがFM音源だったのに対し、スーパーファミコンの場合、ポリフォニックPCMサウンドチップ搭載のSPC700というものが採用されていて、これを駆使して音楽を作る場合、非常に高価なUnixベースのハードウェアをソニーからレンタルする必要があったそうで、その額がなんと1000万円にもなり、とても高かったとしています。


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■スーパーファミコンの音源チップはソニー製
古代氏のインタビューからわかる通り、任天堂のハードなのに、ソニーからレンタルするという一見奇妙な感じがする中、開発を担当していたのは、あの久夛良木氏率いるソニーであり、1988年発表時からPCM音源8chと謳われいたことから初期の頃に売り込み成功したようです。今でこそDTMがこれで広がった世の中になっていましたが、コンピュータ音源が高かった時代だとしても1000万円はあまりにも高く、それだけスーファミに対する既得権益が生まれていたのではないかという勘ぐりが働くほどであり、それ以外にもこの頃の任天堂はカートリッジの販売価格が高いという不満も生まれていた時代でした。

■久夛良木氏と任天堂
スーパーファミコンのカスタムPCM音源の売り込みに成功したのを足掛かりに、任天堂にCD-ROM構想を持ち掛け、その中心人物になったものの、任天堂は一方的に契約を破棄、宙に浮いた案を久夛良木氏は独自ハードに進化させ、3DCG専用ゲーム機プレイステーションを誕生するに至ります。任天堂との蜜月の時間は非常に短く、そして、決裂という結果になりましたが、もしCD-ROMをそのまま採用していたら、時代は180度変わっていたのは間違いない話です。

■ゲームバブルだった1990年代
1990年代はバブル真っただ中で、景気もよく、そして、それに伴い物価も上がっていました。ゲーム機においても、ハードは低価格だったものの、ROMそのものの価格が上昇、任天堂でも定価8000円が当たり前、メガドライブはそれより安く標準価格は6800円だったものの、ROMの搭載量によってはスーファミが1万円以上、(任天堂ソフト意外)メガドライブも8800円まで上昇していました。それ以外の物価も高く、今の時代がデフレで慣れきってしまっていますから、その格差は相当大きなものを実感するほどです。


1000万円は時代背景があったとしても余りにも高いですね。この頃はいろんな不満がサードパーティーから任天堂に出ていた頃で、その反動がサターンやPS1にサードが進出する背景に繋がりましたね。

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